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文字を書くということ。

  • 執筆者の写真: 橋爪未萠里
    橋爪未萠里
  • 2023年1月15日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年2月26日

 毎週日曜にブログをアップすることに決めた。決めたからにはやり通す。でもこれが拷問にならないように、義務にならないように、ある程度の緩さは残していこうとは思っています。



 本を読むといったら小説一択だったけど、最近はエッセイも読むようになった。

新聞に載ってるコラムなんかも絶対に読むわけではなく目に入れば読む程度に好きだったけど、近頃は積極的に読むようになった。


 年末には大好きな山田詠美先生のエッセイの本を買った。と、いっても今私の家にあるのはその山田詠美先生の本と、木皿泉先生の本しかない。

だから「読むようになった」というのは多少盛ってる言い方ではある。

そもそも何故エッセイを敬遠してたかというと、妙に小洒落た言い回しだったり、思想の強さなんかがあんまり面白いと思えず、作家の私生活なんて知るかと思って小説だけを読んで過ごしてきた。


 そんな私が何故エッセイを読むようになったのかというと、林真理子先生の本がきっかけだ。


 コロナ禍になり、人ともろくに話せない日々の中無駄話みたいなものを欲してた私は、表紙の雑な絵と「強運な女になる」というインパクト大なタイトルに惹かれて試しにそれを買って帰ってみた。

お風呂に入りながら(私は風呂場で本を読む派)一気に最初の章を読み終えて、次の章に進む、手が止まらない。えー、めっちゃおもしろい…。あれ?こんなにおもしろいっけ、エッセイって。昔読んだ時はこんなんちゃうかったぞ。タイミング?

林真理子先生がおもしろいというのも大いにあるけれど、なるほどなぁ、小説において読み取れる他人の感情を想像する余白の楽しみとはまた違って、だって私ってこんな人間なんだもーんと言い切る潔さ、林真理子ですらこんな悩みあったんや…という親近感。



 その一冊を皮切りに、6冊ほど買って読み漁った。そっからエッセイにハマったか、というとそうでもなく。ただマリコ先生の魅力にハマっただけであった。

だから年末に山田詠美先生の本を見つけても前ほど嫌悪を抱かず、むしろペラッと立ち読みをして即効「これは買わなあかん」と思ってレジに持って行った。

買って正解。

先生の小説家になるまでが色んな時代の先生を介して書かれている。


 山田詠美先生の本を読みながら、私もこんな風に書きたいなあと思った。(そこはマリコではなかった)

もちろん到底できないことは承知してるけど、ただブログを書くんじゃなくて、もっと読み手を意識してみよう。

 過去の私のブログなんて恥ずかしくて読み返せない。

消したいけど、5年後の私のためにあえて残しておきたい。

これでも私、昔書いてた劇団のブログは評判は良かったんです。身内にね。あの時の感覚を、せめて思い出せるように。


エッセイなんて読まない、て思いながら書き始めて思い出した。

エッセイ読んでた、さくらももこ先生!!!…ごめんなさい。ちびまる子ちゃんの延長すぎて、勝手に除外してた。心の友よ。

 来週は何書こう。









 
 
 

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